Hatena::Groupfuto

だーびーえー

2010-12-08

最近やっと冷静に考えられるテンションになってきたかも、W。


「こうあるべき」っていう、ルールを敷こうとする大人と、その管理に対して抵抗する子供たちっていうかさ。

たーとーえーば、555だったらオルフェノクの社会を作ろうとするスマブレの面々。剣だったらすべてのアンデットに戦うことを宿命づけ続けるモノリス。キバだったらファンガイアの掟を掲げるビショップやキング。龍騎だったら戦いのルールとそれにまつわる命のやりとりを仕組んだ神崎。…とかね。

最終的にそれぞれの主人公たちは、押し付けられていた(あるいは押し付けられようとしていた)秩序に抵抗して、誰かの自由のために戦ったんじゃないかなって。自由に生きて行くために。


“大人”像に実体がないっていうのはまぁつまり翔太郎とフィリップが抵抗しようとしたルール…園咲パパが敷こうとしていたルールが何だったのかさっぱりわからないってこと。

あーいや、ルールははっきりしてんだ。「園咲家の人間は地球の嘆きを救う地球に選ばれた家族である」ってことか。ただその“地球の嘆きを救う”(=ガイアインパクトを遂行する)の部分がなんのことかさっぱりわからんので、実体がないんだよな。

なにかしらの理想はあったはずなんだよね。当初抵抗を見せていた若菜はその理想に共鳴して方向転換したんだろうってのはわかる。じゃぁ園咲琉兵衛が実の息子を犠牲にしてまで実現しようとしたその理想って、なんだったんだろう。

それがわからないと、そしてそれが間違っているってこと…そのルールによって、生きる自由を阻害された者が在ること…を主人公たちの言葉で伝えてくれないと、何がなんだかよくわかんないまんまになっちゃうと思うんだなぁ…


ていうか実際、園咲家が“地球に選ばれた家族”であることによって一番自由を失ってるのって結局園咲家の面々というか…だったらなおのこと、フィリップ=園咲来人の自由のために翔太郎が戦う話になんきゃおかしいというか、ならないとダメだろって話なんだけど。

それどころか最終的にフィリップが復活したのって、その「地球の嘆き」を救う園咲家の一員として復活してるじゃんかあれ。フィリップは生死観の上では“越境者”…境界線の外にあるもの、仮面ライダー的に言うならばヒーローとなるべき者…ではあるけども、実際は最後の最後で、枠組みの中に押し込められているよね。そんで翔太郎はそれに対してまったく一切欠片も関わってない、って、なんていうかどっちも主人公としてどうなんそれみたいな。


っとここまで考えて、じゃぁダブルって、クウガや響鬼みたいな“悪意と向き合う”形のヒーローを目指してたのか?と方向を変えてみる。悪意はいろんなところにあるけど、それでも生きていかなきゃいけない…って感じというか。

…そういや私は途中までダブルが貫いてるものは「誰かを犠牲にする悪意」を許さないことだと思ってたんだな。だからツインマキシマムで翔太郎の犠牲を見過ごそうとした竜は責められるし、たとえキッカケは井坂の策略だとしても、おじいちゃん孝行のためにメモリを使ったリリィ白銀は責められないんだろうな、って思ってたんだけど。

それもシュラウド関連でガッタガタになってるし(このへん)、何より終盤でメモリそのものが悪いって言っちゃってるんだよな…いやもちろんメモリ自体は存在してはいけないものだけども、それって道具でしかないというか。それまで関わってきた数々のガイアメモリ犯罪の根っこに存在していた、いろんな悪意に向き合う態度ではなくね?って。



おやっさんについてもそのうち。

korohitikorohiti2010/12/10 11:41まあ毎回言ってるんでまた重ねて言うのもあれなんだけど、考えすぎなじゃないかなー。

私らが「Wはジャンプマンガ」だっていうのは、今までの平成ライダーみたいな「マイノリティが既存社会の枠組みに反発して生きる自由を勝ち取る話」じゃなくて、単純に「翔太郎が愛する風都(とそこに住む人々)を守る話である」ってだけなんだよね。
だから風都市民であっても風都に害をなす園咲ファミリーは倒すべき相手だし、園咲ファミリーであっても(婿養子とか言うことではなく)風都を愛する心を持つ霧彦と翔太郎は心を通じ合わせることが出来るってことだけかと。

翔太郎が探偵だというのはそもそも、街の人々の事情の表面的なことではなく、もっと裏の事情やその人個人の悲しみや喜びを共有するために最適な職業ということであり、そういう気持ちが判らない存在としてフィリップ、そこまでは分かってもそこに寄り添えない存在としての刑事の照井がいるわけだから、翔太郎の主人公としてのアドバンテージ自体がそこにあったはずで、それって最後にフィリップと照井が翔太郎と気持ちを共有するというカタルシスがあってしかるべきというお約束はあったはずなんですよね。
つまり「W」というドラマにおいては、甘ちゃんでハーフボイルドな翔太郎最強という。w
その構図が成り立たなかった(のはなんでか分からないけど主人公のキャラ立てが弱すぎたから?)のが、Wが成り立たなかった理由ではないかなと思うわけです。

大人がいないというけど、その翔太郎が「子供」だってことを保証するために「理想の大人」像を持つ鳴海荘吉はいたわけだし、「大人」をそういうものとして描く以上、園咲ファミリーは「大人」足りえないわけですよ。つか作品として「大人」っていっちゃいけないんだと思います。
だから「W」において「大人」っていうのは社会の枠組み=ルールじゃないんですね。探偵稼業自体が、大人になりきれない少年マインドを持ってないとダメだと思うしw

そもそもWにおける「悪意」が結局現実社会の犯罪者レベルでしかなかったのが問題で、人々にとって善きことをしようという(ガイアインパクト?)勘違いマイ正義で害をなすのが園咲家という構造から、大義レベルで街を善くすること(でも犯罪)と個人レベルで街を守るということで対比させず、翔太郎を悩ませなかったのが間違いだったのかな、と思うんですよね。

まーそんなことは判ってるけど考えたいんだっていうんなら止めませんが、今までの平成ライダーとそういう意味で比較して考えてもどツボにハマるだけなのかなーと思ったんで。
おそらく作品が立ってる位置が全く違うんじゃないかと思いますよ。ディケイド以前と以降ではw(白倉ライダーか非白倉ライダーかということでもある)